PROFILE


木村覚 Kimura Satoru
日記から

□0308(Sat)

室伏鴻『すべてはユーレイ』を見た(@WENZスタジオ)。

『ジゼル(s)』から引き継いだ、レースの蚊帳のような空間のなかにはしごとそこに貫かれた鉄製の棒。背後のパネルとレースの蚊帳の部分がスクリーンになっ て、そこに映像が映される。不鮮明だが空爆のような、瞬時に光って消える、あるいは斜めに流れていく光の雨。バドバトバドとヘリコプターのような音が低く聞こえる。緊張を強いられるような音と映像、しかしそれが映されるのはあくまでも女性的なレース。光るナイロン線は、中空にそのレースの固まりをあちこち 浮かばせていた。

はしごに乗った室伏が見える。『ジゼル(s)』で女たちがつけていたチュチュを穿いて、頭にはレースを被っている。ゆっくりごくゆっくり と動いているのは見えるが、複数の膜越しで室伏の表情など決してはっきりしてこない。はしごのてっぺんにのって、天井のポールに掴まる。ブラーンと。その姿勢、判然としないままだが、今日の室伏には身体の鋼鉄性よりも何か柔い感触が伝わってくるのみだ。後ろの白く長い箱に来ると、「クククッッ」と声を漏ら しながら、その上にゆっくりと仰向けに倒れ込む。「女(しかも『ジゼル(s)』の女ならすでに兵士=男と掛け合わされていた)」×「男」×「昆 虫のような怪物のようなもの」=目前の踊り手(室伏鴻)という複数性がはじける。仰向けに倒れながらゆっくりと股が開かれていく(戦場の女?)。その後、 ずりずりと箱を押し、引っ張り、斜め前の迷彩ヘルメットのところまで。その間も、二重三重のスクリーンには戦争の光と踊る室伏の姿が映されている。

スーツ姿の、全裸状態の室伏に対して、チュチュの室伏。レースの固まりを箱にのせた後、静かに箱(棺桶?)を引き上げていった。立て上げられる「死」(「命がけ で突っ立った死体」!)。その空洞の死の箱のなかにスルッと入ると映像と音が止み、なかで「キュルッ、クククッッ」などの声だけが聞こえる。声だけ、まさに気配(=ユーレイ)だけが漂う。しばらくするとぼたたっと黒スーツ姿の室伏が倒れ出てくる。何か逆転してるぞ!『ジゼル(s)』の進行と。生から死へ、 生身の女性(兵士)から妖精へ、それが妖精姿からスーツ姿へ、って。でもそれがもう生なのか死なのかはっきりと分からない。棺桶から出てきたのは誰。

そう言えばレースの固まりには大声で「お前は誰だ〜!」と叫んでいたけれど、お前こそ誰だ。室伏らしいねじるようなひねり出すような動きがあらわれる。「クククッッ」と洩らしながら腕が内側にひねられる。と、硬直するというのではないのだけれど、腕の内に力がためられていくからか、見ているこっちの側の身体が ねじられるように感じてしまう(実際に見ていると、ぼくの体はギギギッとねじられてしまう)。はしごに貫かれた棒が揺すられて金属質の音が響く。コンクリートの柱に棒の両端をゴーンゴーンと叩きつける。きれいな響きが漂う。こんなものまでここに並び散らされようとすることの豊かさ、よ。

室伏の愛好する言葉に「エッジ」という語があるが、エッジとは連続した流れを断ち切った切断面のこと、だとすれば、不連続が連続性を切断していかなければならない。そして このことは、切断こそ重要!という話だけではなくて、切断が別の何かを接続させる接合面をつくるところが大事なのだ、ということをぼくに感じさせた(あ あ、そう言えば『アイロニーのエッジ』という本を読んだところだった、「エッジ」、、、)。真ん中で棒を振り回す。危ない。すると頭上のナイロン糸が切られ(「ピューン」といい音がした)、浮かんでいたレースの固まりが落ちる。端に行って棒と絡む(「本当は日本刀を使いたかった」とぼやき)、最後に再び映像が映され、レースは何枚かはぎ取られ、最後の最後には黒いズボンをストンと落とすと履くでも脱ぐでもないままに倒れその足を挙げたまま、仰向く。

膜の呪 縛、重くもなく透き通った、しかし柔らかく拘束し、視覚を支配してくる膜の魔。そこにある戦争。つかみ所のない、ヒット感のない相手。そこにある戦争。 ユーレイとの戦争、という戦争。